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周辺の出来事2020.05.08東照宮

今年も残り少なくなってまいりました。
明日(12月27日)、当社は『仕事納め』となります。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、本社では毎年 新年初日の『仕事初め式』の後、会長・社長~部課長で揃って『東照宮』に参拝に行きます。
「東照宮」といえば日光ですが、ここ勝弦(かっつる)には「勝弦東照宮」が鎮座しています。

会社の西方約1km、辰野方面へ向かう県道から逸れて細い道を登って行った山腹にあります。
県道の脇にある「案内板」によると・・

【東照宮】
勝弦新田村開発にあたり、百姓、俵左衛門ら代表四名が明治六年(1769年)江戸表(幕府)に新開出願した帰路、日光東照宮に詣で「新開成就し一村開しき時は分霊を勧請敬神する」と祈念され、安永九年(1780年)新開成就開村となりました。そこで文化六年(1809年)勝弦東照宮を創建(下り坂地籍)され、明治二十一年(1888年)山ノ神(現在地)へ移転されました。(※「俵左衛門」は「儀左衛門」、「明治六年」は「明和六年」の間違いと思われるが、そのまま掲載)

「勝弦区誌」によると、この地は長らく諏訪と筑摩(松本)双方の入会地として、近世に至るまで境界をめぐる争いが繰り返えされて来たそうです。それが、江戸時代に入り幕府の奨励もあって新田開発が許可され、「勝弦新田村」として一村独立し、その記念(お礼?)に日光東照宮から分霊いただいて創建した・・ということのようです。

松林の中の長い石段(110段くらい?)を登っていくと、正面に社殿(拝殿)が現れます。日光東照宮のような煌びやかな荘厳さはありませんが、随所に「三つ葉葵」の紋があしらわれた、まさに東照大権現(徳川家康公)を祀る社です。

江戸時代には数多くの東照宮が全国各地にあったようですが、明治維新以降に廃絶されてたり、合祀されてかろうじて境内社や摂社として残っているものが多い中、将軍家恩顧の大名等が勧請したもの以外で単独で現存しているのは珍しいんじゃないでしょうか?(開村できたことへの思いが強かったのでしょうか?)

巨木が生い茂った中に、拝殿とその背後に本殿、隣に社務所があります。

明治21年に現在の場所に移築したということですが、「山ノ神」の地名が示す通り、もともと古くからの信仰(ミシャグジやら修験道やら・・)の場所に移したのでしょう。周囲には古そうな石祠や様々な石碑・石仏が多数残っています。

狭い境内ですが清廉な空気が漂っていて、ちょっとしたパワースポットかもしれません。

・・ちなみに石灯籠の1基は、今年 当社が奉納したもので、長野県神社庁長から感謝状をいただきました。

そして、なんと(常時いただけるものでありませんが)「御朱印」もあります。「三つ葉葵」も入っていて歴史ファンにはたまらない感じです。・・私の「東照宮」コレクション(日光、久能山)と並べてみました。

Wikiによれば、「東照宮のうち本宮である日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて『日本三大東照宮』とする東照宮は多い・・」とあります。ということは、この「勝弦東照宮」を『おらが東照宮』と言えば、「日本三大東照宮コンプ!」ということで良いですか?!