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周辺の出来事2021.04.19かっつる

本社所在地は「勝弦」と書いて「かっつる」と読むのですが、初見でその通りに読んでもらえることは、ほぼありません。
「ショウゲン」とか「カツゲン」とか、いちばん近くて「かつつる」で・・

私「すみません、これで『かっつる』と読むんです・・」
相手「『かっつる』ですか?・・ふふふ(笑)」(なぜか、微妙に笑われる・・)

という、やりとりを何度したことか。


「勝弦」の地名の由来について、
Wikipediaによれば、「古代末期からこの地にマメ科植物の葛葉が生い茂っていて、蔓状にからみ合っている様子を表現した葛蔓の音カツツルが地名として残ったのではないかと推測されている」となっています。

確かに今でも道路わきに「葛(くず)」が茂っているのを、会社の近くでも見かけます。昔は峠を通って行くのに蔓が絡み合って大変だったのかもしれません。しかし、それが地名になる程の特徴かというと・・・疑問です。
それに、地名の由来として面白くありません。


歴史・民話好きな私が、『塩尻の伝説と民話』という本を読んでいて気になるものを見つけました。

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相吉沢を登りつめた所に緩やかな三つの沢があり、ここを出藤、中藤、入藤と呼んでいます。東には尾根境で諏訪に、南は少し登ると三沢峠に出ます。
昔、建御名方命が諏訪にご入国しようとしましたが、諏訪には守矢神がおられて、ご入国できず、しばらく小野の地(現在の小野神社の所)にお住まいになられておりました。そして、小野や勝弦の民衆に農耕を勧めるかたわら、武育に励まれ、敵の様子をうかがっておりました。
そして時期をみて、命は民衆を引き連れ、三沢峠を越えて川岸に下り、守矢神と戦いました。そのとき、守矢神は鉄輪(てつかぎ)を持って戦ったが、命は武器がないので藤蔓を持って戦い、守矢の神を屈服させて、遂に諏訪へご入国あそばれたといわれ、そのとき、命の率いる人々の使った藤蔓を伐った山が、出藤、中藤、入藤の地名として残りました。
なお、命が三沢峠を越え、川岸で、守矢神が鉄輪を持ち、命が藤蔓を持って、天竜川を挟み戦ったことは、諏訪神社の古記録「諏方絵詞」にも載っておりますし、現在、川岸の天竜川の西には、命が投げた藤蔓が根付いて、そこへ命をお祭り申し上げ、川東には守矢神を祭った神社があります。

『塩尻の伝説と民話』塩尻史談会編 より
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相吉沢は、小野駅の方から相吉溜池を経由して、少し前まで「チロルの森」のあった辺りへ登ってくる沢のことです。そこを登りつめ、東に諏訪、南に三沢峠(小野峠)という位置は、まさに当社の「ハイコムの森」の西側の丘陵付近のことではないでしょうか。そういえば、会長から、先代の会長(現会長のお父様)が、むかし「出藤(でふじ)」と呼んでいたという話を聞いたことがあります。

その「出藤」地籍の端っこにあるのが『鬢盥石』(びんだらいし)で、建御名方命がその上に座って休んだ際に、凹みに溜まっていた水に顔が映ったので、乱れた髪(鬢)を整えた・・というのが、その名の由来です。諏訪へ攻め込む途中で休んだのでしょうか。


「建御名方命(タケミナカタ)」は、『古事記』によれば大国主神(オオクニヌシ、出雲大社の祭神)の子です。いわゆる「国譲り」の神話で、高天原に住む天照大御神(アマテラス)が、オオクニヌシが治める葦原中国を自分たちに譲るよう求めて来ますが、これに抵抗したタケミナカタはアマテラスの遣いである建御雷神(タケミカヅチ)と争って敗北し、諏訪(科野国の州羽海)まで逃げて来て「もう、この土地から外へは出ないから、殺さないでくれ」と言って許された、と書かれています。

ところが、諏訪に伝わる古文書『諏方大明神画詞』では、諏訪は元々「洩矢(モレヤ)の神」が治めており、タケミナカタ(明神)はそこへ「逃げて来た」のではなく、逆に侵略して来た神として描かれます。「洩矢の神」は「鉄の輪」持ち、「明神」は「藤の枝」を持って争った、とされています。

『諏方大明神画詞』には、その争いがどのようなものであったかは書かれていませんが、先の「民話」はこれに話を盛り「天竜川を挟んで戦った」としているのでしょう。両者を祭った神社が、岡谷市の中央印刷(株)様の隣に「藤島神社」、天竜川を挟んで元当社の製本工場(旧新興社様)があった場所の近くに「洩矢神社」(もりやじんじゃ)として現存しています。

藤島神社(右)と洩矢神社(左)

民話では、タケミナカタの率いる軍勢は「武器が無いので、途中の山で藤の蔓を伐って武器にした」としています。鉄輪VS藤枝というのがどういう戦いなのかさっぱり想像できませんが、とにかくタケミナカタが「勝った」のです。そしてその藤の蔓は、ここ勝弦の「ハイコムの森」の辺りで調達したのです!

つまり、
「藤の蔓(つる)で勝った」 → 「・・蔓で勝った」 → 「蔓(弦)・勝」 → 「勝弦」!?

・・ということじゃないんですかっ!?(これが言いたかった)

その後、タケミナカタは三沢峠(初期中山道)を超えて諏訪に入って行き、守矢神に勝利して最終的に諏訪大社の祭神になったのです、たぶん。(地元で「タケミナカタ」などと呼ぶ人など皆無で、「お諏訪さま」「諏訪明神さま」ですが・・)この辺の話し、掘り下げていくと深い深い、深すぎてまとまらないのでやめますが、

とにかく「勝弦」の由来。「葛葉が生い茂っていたので葛蔓(勝弦)」よりは・・そんな風に考えた方が面白いかなーと。
勝手に妄想を膨らませて、いつもの山道を通勤する毎日です。

「鬢盥石」の話題に乗じて(ネタ不足もあって)、駄文を弄しましたがご容赦をー。